「和渕ヒロアキ 世界紀行」
第一紀: アジア大陸の真ん中らへんに在った村 -ZEROを手にした和渕は強く-
もうかれこれ三日もろくに寝ないで山道を歩いている。ずっと森だ。森がこんなに面白くないものだと気付いたのは初日の夜だった。
木、全然面白くない。木目、全然解こうと思えない。根っこ、全然色っぽくない。森に全くエンターテインされない。
カロリーメイトはもう飽きた。キットカットは底を尽きた。なぜ自分が森の中にいるのか、分からなくなっていた。
ふと目の前を通った野良ラビットを登山用のブーツで蹴ってしまった。しかもわき腹をトゥで。湧き出てくる罪悪感。が、すぐ薄れた。いつも通りだ。ちょっと泣けてきた。
あんなに自然が大好きだった私ですらこのザマだから、君らだったらとっくに気が狂ってるよ。同行ディレクターを殴ってる。大きく振りかぶって殴ってるよ、絶対。絶対にね。
目的の村に着いたのは四日目の夕刻ごろだった。その村は「アジア大陸の真ん中あたり」にそびえている、高い山と山との間にある平地にあった。
村の入り口まで来たが、まるで人の気配がしない。オーイ、と呼んでみたが、ピクリとも反応が返ってこない。おかしいな、と思いながら村の中に入って行った。
村全体の中央に位置する広場のような場所まで歩いたところ、ふと人の気配に気付いた。
驚いて周囲を見回すと、村人全員に囲まれている状態だった。ゾッと鳥肌が立った。背筋に何か冷たいものを感じた。触ったら蛭が付着していた。取ったらスッとした。
辺りはまださほど暗くなってはいないのに、なぜか彼らの眼は異様に光って見えた。生気はまるで感じられないというのに、ただ光る眼。What a wild picture ! こんな人間は初めてだ。
その表情は限りなく「無」に近いように思えた。アクシデント的にラッパ屁や腹の虫が鳴った程度では緩みそうになかった。悪意はないが善意も無い、リアリティはないがココニイル、そんな表情に見えた。
その表情は限りなく「無」に近いように思えた。アクシデント的にラッパ屁や腹の虫が鳴った程度では緩みそうになかった。悪意はないが善意も無い、リアリティはないがココニイル、そんな表情に見えた。
世界を旅していると、行く先々で様々な人々に出遭うのだが、生理現象ですら笑えない人達ともなると、なかなか対処が難しい。つまるところ、それはコミニケートする上での最終手段だからだ。
ろくにコミニケーションを取れそうもなかったので、黙って村長の家に一泊させてもらうことにした。その一連の流れにおいて、村長は一度たりとも頷くことさえなかった。
「囲み」が解かれてからは、村人は誰もこちらを直視してこない。例の目つきのまま、ただ前を向いている。
郷に入るには郷に従えだ。黙って家に入れてもらい、黙って空き部屋を見つけ、黙って眠った。
結局、誰とも一切コミニケートすることなく、朝を迎えた。
大所帯の村長家の朝食は、予想外に賑やかだった。なにせ誰一人として食べ物を口に運ばないのだから驚きだ。
彼らは食べ物に見立てた藁や木の枝を両手いっぱいに掴んで投げ散らかし、ふと我に返って座り込んだ。それぞれが、その作業を繰り返していた。
すでに飽き飽きしているカロリーメイトを仕方なしに齧りながら、そんな朝食の光景を、部屋の隅のほうで眺めていた。
ふと一番多く藁を投げ散らかした少年に目をやると、彼の目はひどく充血していた。震えているようにも見えた。夜更かしでもしたんだろうか、それとも…。
そんな年頃の少年を見て、ふと思春期のころ自分を思い出した。が、すぐやめた。朝っぱらから落ち込みたくはなかった。切ない想い出がぎっしり詰まったパンドラの箱にまた一つ新しい鍵を掛け、記憶のより奥のほうに閉まっておくことにした。
村長との熱い抱擁ポーズのあと、ベージュ地に紺と緑のチェック柄をしたハンカチで流れてこない涙を位置的に拭い、手早くギャラの入った封筒を村長に渡し、次なる目的地へと向かった。
なぜか村人全員が見送りに来ていた。しかし誰一人こちらを直視しない。眼は相変わらず光っている。
もう、嫌。
彼らに背を向け、いつもより速い足取りで村から離れて行った。振り返って少しでも姿、形が見えるうちは絶対に振り返りたくなかった。またひとつ余計な記憶を増やしたくなかったのだ。
次はどんな場所で、どんな人々との出会いが待っているのだろう。期待と不安と激しい虚無感が心の中に入り乱れているうちに、また山道に入った。森だ。ずっと森だ。クソ、全然面白くない。
世界は、広いゾ。